ラジオ論

マッキー

2008年05月28日 00:31

KBS京都ラジオの「ただいま勤務中
森谷威夫のお世話になります」(月ー木10時-13時 1143KHZ)に出演させていただきました。

 先日、「かってに滋賀観光大使」を宣言させていただきましたが、滋賀のいい宣伝ができました。スポレク滋賀や井伊直弼と開国150年祭、黒壁20周年、滋賀レイクスターズ誕生など、滋賀の魅力を京都、大阪の方に発信してきました。

 写真は、KBS森谷アナとアシスタントの桂さんです。森谷アナとは以前から遊び仲間ですが、今回はじめて仕事をしました。

なんか、いつもお酒飲んでいるひとと仕事するのは不思議です。 さて、ラジオ論にいきます。一言で「ラジオはおもろい」「ラジオは自由」です。 ことのいきさつは、僕が森谷さんに、「ちょっと出演さして」のお願いでした。まあ、テレビでいうと、「ちょっと出演させて」でなかなか出演できません。出演できたとしてもまあ2,3分ですわ。ところが森谷アナの回答は「20分とりました」でした。こけましたわ。20分もしゃべることあるかなーと思いましたわ。 しかも当日、ぎりぎりのスタジオ入りで、打ち合わせもできません。本番直前CM中に、牧田「森谷くん、なにしゃべろ」 森谷「あ、なんでもいいですよ。すきな事しゃべってください」

 こんなんでよいのだろうか? と思いながらしゃべりはじめて、あっというまに20分こえてしまいました。
まとめると、ラジオはテレビに比べてあまりに自由、テレビは話すことがかなり制限されます。それは映像を優先するということがテレビの鉄則だからです。テレビは、「何を削るか」「何を話すのを辞めるか」が重要です。かなりエッセンスを絞りこんでしゃべります。 ラジオは思いつくままです。放送禁止用語以外、なんでもよいのです。かなりプライベートなことも大丈夫です。

 水泳でいうと「自由形」と「背泳ぎ」くらい違います。あるいは「サッカー」と「フットサル」、「マラソン」と「100M」くらい違います。

自由度があるだけラジオパーソナリテイは、知識や経験、人間性、見識など力量がとわれます。そういえば報道ステーションの
古館一郎さんがある本のなかで「最近のラジオ、特にFMのDJのやつらの話はわけがわかりません。ラジオぶっ壊してやりたくなるときがあります」と書いていました(断っておきますが僕は言ってませんよ。)それだけごまかしが聞かないメディアだといえます。

 確かに、私自身もラジオを聴いていて、「素晴らしいと思うDJ」「まあ、可もなく不可もなくなDJ」「ラジオを壊したくなるDJ」と自然に点数をつけているときがあります。

 私自身はテレビで働く人間です。テレビは面白いです。しかし、根底には、「ラジオパーソナリティのDNAが存在している」事を確認した、森谷アナとの20分トークでした。

 ラジオ論は熱がはいった。まだまだいいたいのでこの続きはまた。もう寝ます。



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